義理堅いのはダメ??現代でもなかなかこんなこと言えないですよね。義理堅いのはサラリーマンにとっての鉄則のような基本要素。ましてや龍馬が生きた時代はまだまだ儒教が色濃く残る時代です。
この名言の意味とは?
「義理と人情を秤りにかけりゃ、義理が重たい男の世界」高倉健さんの任侠セリフですが、概ね日本人は
この義理は特に好きですよね。
龍馬は決して義理を欠いていたり、軽視すること自体は望んでいなかったと思います。
龍馬のこの名言に込めた想い、意味は、相当なことをやり遂げようと考えた時に、義理さえも欠くことを
恐れていては無理だという決意の表れと思います。
本意を遂げるためには全てを犠牲にしてでも、やらなければいけない、例え義理があったとしてもだ、
という意味合いですね。
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「覚悟」という言葉は軽々には使えない?
前回の志のパートでもやり遂げることの重要性を書いてみましたが、その骨格にあるのは「覚悟」
だと思います。
覚悟って辞書を紐解くと、「危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、
それを受けとめる心構えをすること」
とある一方で、仏語でもあるんですね。悟りを開く意味もあるそうで。
そうやってみると「覚悟を以って臨みます」なんて言葉は易々とは言ってはいけないと身に染みました。
逆に考えれば覚悟さえ抱くことができれば何でも可能になると言うことです。
しかしどうやったらそんな覚悟を抱くことができるんでしょうね?
私みたいな凡人でかつ飽きっぽい人間にとっては相当な難関です。
私なりのこの名言の意味のまとめ
むかし部下の企画書を指導していた時に感じたことです。
新卒一年生の部下が5人いたのですが、個別に企画書を書かせて私がチェックするということをしていた時に、
OKを出すポイントが自分なりにも何点かあったのですが、「この広告であれば必ずこの商品は売れます」
というある種確信に近いところまで考え抜いた企画は、文句なしにOKを出しました。
企画書の体裁とか、論理破たんとかいろんなマイナスポイントがあったとしても、その確信、
または覚悟を決めた者の言葉は強い。そう感じました。
なので結論にはなりませんが、覚悟を持つまでに考え尽す、ただひたすらに考え尽す、それしか無いんでしょうね。
今の時代はパワハラになるので、なかなか言えませんが「寝ないで考えたのか?」という昔の上司の言葉を思い出します。
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