この名言の意味、意図は最後の功績は他人に譲れ、と言うことそのままですが、大概この行為はできないものですよね。

この名言の意味とは?

おおよそこの逆の行為が世に横行しているし、そんな「良い人」に巡り合うこともなかなかあり得ません。

これは短期的な視点で事を捉えるか、長期的な視点で捉えるかということでしょう。

短期的に見れば功績は間違いなく自分のモノにしていかないと、やればやるだけ損をすることになります。

しかし一方で長期的に見れば、この行為はあたかも投資のようなもので、その積み重ねは将来において

多かれ少なかれ実を結ぶ可能性が高いと言えます。

 

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龍馬が伝えたかったこの名言の真意。

目先の評価を選ぶか、将来にわたっての評価を選ぶかと言う判断ですね。
自分の功績を自分の功績として語るのはまっとうですが、その逆は厄介ですね。
つまり自分は何もしていないのにあたかも自分がやったと主張する輩。
マンガやドラマの典型的な悪役というか、嫌われ役ですが、現実にもいますよね、こういう人。

私の会社にもいました。
そしてその人間はその行為がおよそ10年近く前であるにも関わらず、レッテルは一向に剥げることは
ありません。とても怖いことです。つまりそういう行為は周りから相当に忌み嫌われることである証左ですね。

でもそういうことをしてしまうのも悲しい人間の性です。

龍馬が身を持って示した名言

この社会はいずれにしても人間関係が全てのベースであり、その善し悪しが人生の成否を決めると

言っても過言ではありません。その関係良化には必ず「信頼」が存在しており、その質量の多さが重要です。

そしてその「信頼」を築きあげるのが、この龍馬が語る行為に他ならないと思います。

 

龍馬自身が身を以ってこの行為をやり遂げていたかは定かではありませんが、少なくても後世にこれだけ

の名声を残せていること自体が何よりの証明じゃないでしょうか。

 

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誰かが言っていましたが、男(女)の真の評価は死んだあとで決まる。まさしくそうだと思います。

若い時、この言葉を聞いた際はまったく腹落ちしませんでしたが、子供が生まれてからはこの言葉の

言わんとすることが納得いきました。

 

だって誰しも自分の親が亡くなった時に「本当に君の親御さんにはお世話になったんだよ」ということを

多くの人が言ってくれたら、故人もさることながら残る家族の励みにもなるはずです。

そこまで先を見て今を生きていくのはなかなか難しいことですが、「一流」と呼ばれる人はそれを

実践しているんだと思います。見習いたいですね。



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