「坂本龍馬関係文書.第一」より。
いつどこで詠まれた名言かは分かりませんが、「龍馬が行く」
でも紹介されていたはずです。
この名言の意味とは?
よくよく調べてみると一休宗純のことばでもあるということ。
真偽は分かりませんが、龍馬が通っていた 土佐の小栗流日根野道場
の教訓歌だったということなので、いずれにしても龍馬に
大きな影響を及ぼした言葉であることは間違い無いのでしょう。
この名言の意味ですが、
温厚で人当たりの良い人は、それはそれで素晴らしいが、もっと自分の主張だったり
良い意味で角のある人格が望ましいということだと思います。
一方であまりにも周りに気を使いすぎて、結局は付和雷同、どっちつかずが
最もダメだと諫めている気もします。
これをどう現代に活かして考えるか
最近なんとなくですが人間関係につかれた人が私の周りに多いようです
先日もある人と会食をしていましたら、まあ出るわ出るわ、周りの人たちの
悪口。ほぼ3時間、すべて人の悪口、しかもその悪口の犠牲になったのは
一人や二人ではありません。
人間にとってのストレスって、そのほとんどが人間関係ですよね。
その関係は互いの性格の違いなどから起こるため、性格の温厚さや当たりの良さは
この現代、欠かせないと思いますが、本当にそうなんでしょうか?
普遍性のある名言
龍馬の時代は現代よりも生き方が相当に厳しい時代。
生半可なことではその厳しい時代、生き残るのが難しかったことは
容易に想像されます。
ですから龍馬がいい人だけでは生き残れないよ、と確信したのでしょう。
でも現代はそれと異なるのでしょうか?
先ほども述べたようストレスは現代でも、いや現代のほうが多いのでは?
そんな中、人に対して当たりよく、何の主張もせず、ただただ周りに
流されるだけではストレスは溜まる一方です。
ですから改めて自らの主張を必要に応じて行うことが重要なのでは
無いでしょうか?
むしろそちらの方が人間としての味もあると思います。
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