大政奉還の後、明治新政府の樹立となりました。
新しい政府の要職を任せる人のリストを龍馬が記述し、
それを西郷、大久保ら薩摩藩の要人たちに見せに行きました。
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この名言の背景
しかしそのリストには龍馬自身の名前が無かったのです。
維新の最大級の功労者である龍馬ですから、西郷たちにして
みてもそれ相応の役職を担って当然と思っていたところ
まったくその名前が無かったのです。
「世界の海援隊でもやりますかな」という言葉です。
龍馬曰く、役人なんて窮屈で仕方ない、自分にはそんなのは
向いていない、やるなら自由な立場でやれる海援隊でも
やっていたほうが、ということだそうです。
この時このやり取りを聞いていた、後の外部大臣で海援隊出身の
陸奥宗光は「西郷よりも坂本のほうが一枚も二枚も上だ」と
確信したそうです。器が違うと。
この名言の意味は?
誰もかれも名声は欲しいし、役職にはこだわるものです。
しかし見事なほどに龍馬はそれにこだわらなかった。
目的はあくまでも新し日本を創ることで、それを成し遂げた時
その後の功労なんかには全く目も向けなかった。
龍馬の本心が本当によく現れている言葉だと思います。
私なんかであれば、真っ先に要職に自分の名前を書いていますよ、笑。
むしろ私心が無かったから成し遂げられた?
一方で思うのは龍馬のこの私心の無さが明治維新という偉業を成し遂げ
られた最大の要因だと思います。
私心が無いからこそ、いろんな人たちが協力し、援助もしてくれた。
西郷も大久保も少なからずの「人物」ですが、ちょっとレベルが違った。
一部で坂本龍馬という人物は果たして実在していたのか、という疑念が
抱かれることもありますが、そんな人間離れした思想を持っているが故
なんでしょうね。
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